きもので想いを表現する

父の告別式で着たきものが、私の原体験

私は

きものは日本女性の
最強の勝負服

とお伝えしていますが

 

私が勝負服として
きものを着たのは
いつが最初だったのだろう
と振り返ってみたところ

 

それは
父の告別式だったと
思い至りました。

 

 

私の父は2002年、私が大学3年生の
9月23日秋分の日に他界しています。

 

 

その半年前、3月末に
急に胸の痛みを感じた父は
自分で救急車を呼び入院しました。

 

 

病名は大動脈解離。
心臓そばの一番大きな血管に
裂け目が入るというもの。

 

 

入院翌朝から10時間以上にわたり
裂けた血管に人工血管を入れる
手術を行いました。

 

 

一命はとりとめたもの、
麻酔から覚めているのかわからない
いわゆる、植物人間の状態で
ちょうど6か月入院生活を送り
秋分の日の朝、52歳の誕生日直前に
容体が急変して亡くなりました。

 

 

私の父は英語の教師で
当時でも既に珍しい、雷親父。

 

 

普段は陽気な江戸っ子でしたが
怒らせると本当に怖い父でした。

 

 

特に、私と弟と妹と
3人の子どもたちの
しつけにはとても厳しく、

 

食事中や公共の場でのマナーや
親への言葉遣いで怒らせると
必ず怒鳴られ、

 

性別関係なく
私もふっとばされるくらい
ひっぱたかれていました。
(『巨人の星』に近い状況でした笑)

 

 

勤め先の学校でも生徒さんを
本気で叱ることが多かったようで、
母が「手だけは出しちゃだめよ」と
心配していたほどでした笑。

 

 

そんな恐ろしい雷親父でしたが、
私たち子どもたちを
大事に思ってくれていることも
わかっていましたし、

 

父の方が母にぞっこん
ということもわかっていました。

 

 

私が第一志望の高校に合格したとき
勤め先の学校の職員室で
両手あげて喜んだとか
そんな話も聞いていました。

 

「オレは高校のときから飲んでいた」
が半分口癖で
大学に入る前から
お酒も一緒に飲ませてもらっていました。
(もう時効ですよね笑)

 

そんな父が倒れて
6ヶ月、話すこともできず
こちらの声が聞こえているのかも
わからない状態でしたが

 

私たち家族は
なぜかいつか回復すると信じて疑わず
ご臨終です、と言われるまで
本当に亡くなるとは
思ってもみませんでした。

 

 

そしてむかえたお通夜。

 

驚いたことに
本当にたくさんの方が
いらしてくださいました。

 

 

聞けば
同じ学校の同僚の先生
在学の生徒さん

 

お付き合いのある
学校の先生方

 

趣味のつながりの方々

 

ずっと同じ私立校で
20年以上勤めていたので
たくさんの卒業生が
来てくださいました。

 

 

参列の方の人数が多すぎて
お坊さんがお経をあげながら
時々振り返っていたほど笑。

 

 

このとき私は
あんな雷親父だった父が
実はたくさんの人に
好かれていたこと

 

 

また、教師という職業は
人との出会いの仕事なのだと
思い知りました。

 

 

来てくださった方に
父の長女として、
父がどういう人であったかを伝え
直接お礼を言いたい

 

父が自慢の娘と
思ってくれるような挨拶をしたい

 

もちろん母が喪主で
母も告別式に出るのですが
母は人前で話すタイプではありません。

 

そこで喪主の挨拶は、
母の代わりに私が話す
と家族・親戚に宣言。

 

 

お通夜の後、
布団をかぶって挨拶文を考えました。

 

そして、
告別式では きものを着たい
母に頼みました。

 

告別式の朝、
美容室で髪を結い上げてもらい、
母が親戚から借りてくれた
紋入りの黒喪服を着付けてもらい、
告別式に向かったのでした。

 

 

お通夜の私は最初から
泣きっぱなしでしたが
告別式は挨拶が終わるまでは
絶対に泣きませんでした。

 

 

当時、23歳の学生で
まだ全く きものに興味がなく、
きもののことを
何も知らない時期でした。

 

 

にもかかわらず

 

父の告別式には
きものを着て挨拶をしたい

 

それが父と最後のお別れの場に
来てくださった方へ、

 

父と関わってくださったこと
告別式に来てくださったことに
心からお礼を表す最良の方法であり

 

父の自慢の娘
(と父が思っていたかは置いておいて笑)
として出るときに一番ふさわしい方法

 

と知っていたのでした。

 

振りかえると
突然父親を亡くした告別式で
大勢の参列の方の前で
泣きもせず挨拶ができたのは
きものに大きな力をもらっていたのだと
納得できます。

 

 

きものは日本女性の
最強の勝負服

 

 

そう私が確信を持って言えるのは
父の告別式での体験があったからです。

 

だいぶ極端な例を
出してしまいましたが…

 

きものは
もっといろいろなところで
勝負服として使えます。

 

そんな可能性を
これからもお伝えしていきます。
▼父と私の最初のツーショット写真

 

 

上杉 惠理子

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